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ギョウ城遺址




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【 ギョウ城遺址 】
 北城と南城がある。北城は、春秋時代の斉の桓公の時代に造営されたと伝えられている。漢代の末に冀州牧の袁紹がここを拠点としていたが、204年、曹操が袁紹を打ち破りここを都とし、城の西北方に高殿・三台(氷井台・金虎台・銅雀台)を建設した。そして、その子供である曹丕が魏を開き、洛陽を都と定めギョウを北都とした。五胡十六国の時代には、後趙と前燕がこの地を都としたものの北斉と北周の争いに巻き込まれ、町は滅んでしまう。銅雀台には後趙の建武帝石虎が高さ50m・5層の楼閣を建て、その屋根に翼を広げた高さ5mの銅の雀を取り付けた。
 南城は、東魏・北斉代に拡張され繁栄したが、北朝末の戦いでは灰に帰してしまった。


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